レイルウェイ・ライター種村直樹

1936年(昭和11年)3月7日生、2014年(平成26年)11月6日没

レイルウェイ・ライターとして

毎日新聞社国鉄本社担当記者から1973年4月1日にレイルウェイ・ライターとして独立。
列車ルポや旅行記にとどまらず、ガイドブックや評論・エッセイの他、推理小説など幅広く執筆した。
また新聞、テレビ、ラジオなどのメディアにも積極的に出演し、冠番組のラジオパーソナリティも担当した。
主な著作や出演番組は、以下のとおり。

[ガイドブック]

『周遊券の旅』『旅のABC』『ブルーガイドブックス四国』『種村直樹の汽車旅相談室』(以上、実業之日本社)、『鉄道旅行術』『ブルー・トレイン全ガイド』『鈍行列車の旅』『ローカル線の旅』(以上、日本交通公社)など

[エッセイ・紀行]

『時刻表の旅』(中公新書)、『終着駅の旅』(講談社新書)、『きまぐれ列車で出発進行』『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』『鈍行最終きまぐれ列車』(以上、実業之日本社)、『きしゃ汽車記者』(創隆社)、『種村直樹のレールウェイ・レビュー』(中央書院)、『東京ステーションホテル物語』(集英社)など

[ミステリー](大須賀敏明氏と共著)

『日本国有鉄道最後の事件』『JR最初の事件』(ともに、徳間書店)など

[テレビ、ラジオ]

CBCラジオ「ばつぐんジョッキー」、TBSラジオ「全国こども電話相談室」など

[レコード]

LP『種村直樹の北海道汽車の旅』、LP『種村直樹の山陰汽車の旅』(ともに、ビクター)

読者からの質問

毎日新聞社在籍時代に初めて出版した『周遊券の旅』(昭和46年度版)から自著に自宅住所を掲載。読者からの質問を直接手紙で受け付けて、すべてに郵送で回答していた。

レイルウェイ・ライター友の会

読者から届く手紙を見た京都大学法学部時代の同級生が発起人となり、手紙をくれた全国の読者に声をかけ、1974年(昭和49年)7月、レイルウェイ・ライター友の会(以下、友の会)が発足。会員数はピーク時の1988年(昭和63年)に会員545人、予備会員679人の計1,224人となった。なお、友の会は2010年1月に解散した。

友の会会員との交流

友の会のおしゃべり会や見学会のイベントに集まった会員同士が親密化し、地域支部やサークルを組織し独自の活動を開始。また、一緒に汽車旅がしたいという読者の希望が広がり、友の会メンバーが幹事を担う汽車旅イベントが定着、その旅を新刊に書き下ろした。
また、レイルウェイ・ライター開業10周年、20周年、30周年の記念パーティー、同10周年、15周年、20周年の記念列車の運行では、友の会メンバーが事務局となり運営を担った。

旅行貯金

旅先に郵便局があると記念に一定額を貯金する旅行貯金を1979年(昭和54年)8月より始め、生涯で5474局に達した。

外周の旅

東京・日本橋から海岸線沿いに列車、路線バス、巡航船、徒歩で集落をつなぎ、岬を訪ねながら日本を時計と反対まわりに一周する「日本列島外周気まぐれ列車(略称〝外周の旅〟)」を、1980年(昭和55年)6月にスタート。
トータルで96回、延べ495日間をかけ、2009年(平成21年)6月6日、ゴールの日本橋に到着。日本国道路元標前のゴールで、読者約200人に出迎えられた。

蔵書・資料保存活動

2020年(令和2年)、本州最北端の私鉄・津軽鉄道に蔵書3000冊余りと長年原稿を執筆していたデスクなどを寄贈できることになり、翌年11月、津軽鉄道津軽飯詰駅に「レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫」がオープンした。また、都内新豊洲にある芝浦工業大学附属中学高等学校内の「しばうら鉄道工学ギャラリー」には、デスク回りの品や著書、原稿などが展示され、どちらも無料で見学できる。そのほか非公開ではあるが、「芝浦工業大学豊洲図書館」「京都鉄道博物館」「長浜鉄道スクエア」など各所に、蔵書や資料をお引き取りいただいた。これらの寄贈についてはすべて、友の会解散後も会員相互の交流を続けている読者が中心となって行われた。

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